「ハラカド」の地下に広がる、銭湯のある街のような空間


東急プラザ原宿「ハラカド」の地下一階に広がる「チカイチ」。「チカイチ」は小杉湯原宿を中心に、チカイチパートナーと呼ばれる企業やブランドが構築した6つのエリアが緩やかにつながる空間だ。小杉湯原宿には「湯」があてられているように、各エリアにはそれぞれが大切にしてきた価値観を表す漢字一文字が掲げられている。
清潔や清浄文化を表す「清」を掲げた花王、ランニングステーションとストレッチスペースを営む「アンダーアーマー」は「快」。サッポロビールは黒ラベルから「星」を掲げ、美容健康家電を試供する「MYTREX」は「技」と、それぞれの個性が直感的に伝わる文字が輝く。


走って汗をかいたあと、お風呂で綺麗になって、美味しい一杯を味わう——。そんな、銭湯を中心としながら街で暮らすような楽しみ方ができるのも、「チカイチ」ならではの魅力と言えるだろう。
カルチャーの発信地である原宿ど真ん中の施設で、新しいパートナーと空間を作り上げるためには、表層ではなく本質的な部分での理解や共感が欠かせなかったという。「チカイチ」が形づくられるまでの軌跡を、小杉湯 代表の平松佑介氏と関根江里子氏、「チカイチ」のコンセプトづくりに携わったプロデューサー・小国士朗氏、81scks inc.代表のゲンタ・クラーク氏に話を聞いた。
今の商業施設に必要な銭湯のあり方

——昨年9月、まだ「ハラカド」が開業する前にも小杉湯・平松さんにはインタビューをさせていただきました。改めて、小杉湯 原宿の開業に向けて、チームの皆さんがどのような想いでプロジェクトを進めてきたかを振り返りながら教えていただけますか?
平松佑介氏(以下平松):2017年に高円寺の小杉湯を継いでから、新しい挑戦をしないと銭湯という商いを続けられない危機感をずっと感じていました。「ハラカド」を準備していた東急不動産さんも、コロナ禍で商業施設のあり方が大きく変わり、デベロッパーとしての原点に立ち返る覚悟を求められていたようです。小杉湯原宿の実現には、そんなお互いの覚悟や危機感が前提にありました。
関根江里子氏(以下関根):小杉湯原宿を始めるにあたり、従来のテナント入居やイベントスペース運営とは異なる形を模索しました。毎月のようにコンテンツが変わってしまえば、銭湯らしい「いつもの変わらない場所」は作れません。小杉湯が求める風景を考えるうちに、銭湯と繋がる区画があるようなイメージが固まり、関わってほしい企業さんの名前が出てくるようになりました。


平松:最初に決まったパートナーは花王さんでした。花王さんのコアにあるのは、140年以上前に石けんからスタートした「清潔・清浄」の文化です。小杉湯も公衆衛生を支える立場ですし、花王ミュージアムに行くと銭湯関連の展示も多い。運命的に思えるほどの出会いと共感があり、新たに作る銭湯から価値を発信するパートナーとして加わっていただきました。
しかし、銭湯という業態とイメージが直結しない企業さんとはうまく繋がれませんでした。プロジェクトを立ち上げた当初はフロア全体を「銭湯ラルマーケット」と仮称していたのですが、銭湯とあまり関連がない企業に対して、この言葉だけでは、メッセージが伝わりにくかったのだと思います。そこで、以前から縁があった小国さんにコンセプトづくりを相談することにしました。
トラブルを超えてたどり着いた「素のまま」「チカイチ」

——小国さんがプロジェクトに参加された時に、まず感じたことや考えたこととはなんだったのでしょう?
小国士朗氏(以下小国):平松さんたちから相談を受けたとき、僕も「マーケット」という言葉には少し違和感を覚えました。マーケットと定義づければ、どんな企業であれ売上が大きな目標になってしまいます。高円寺で90年近く続いてきた銭湯が、わざわざ原宿の真ん中にやってくる意味は、何か別のところにあるはず。小杉湯が本当は何をしたいのか話し続けていたとき、高円寺の小杉湯で“炎上”事件が起きました。
関根:まさに小杉湯 原宿の開業準備に追われていた昨年の2023年11月のことです。高円寺の小杉湯ではブランドや企業とのコラボレーションやそれと連動した日替わり湯を毎日のように提供していましたが、そのうちの一つのイベントがSNSで問題視され、即刻中止する事態になりました。当時の小杉湯は「このままでは銭湯を続けられない」という危機感から、とにかくイベントや物販を企画して関係人口を増やそうとしていたのですが、そのハレーションの結果起きてしまった出来事でした。
それからしばらくの間、一度会社として冷静に立ち止まって考えるためにも、高円寺の小杉湯のすべてのイベントと日替わり湯を中止しました。日替わり湯は先代の時期から続いていたので、数十年ぶりに「白湯だけ」の小杉湯が営業されることになりました。小国さんに相談してから、すぐ後のことでしたね。


小国:一方で、僕はこの”炎上”事件をポジティブに捉えていました。危機の時にこそ、その人や組織の真価が問われます。何を捨て、何を選び、最後の最後に何を残すのか。今回のことで、今まで様々なことにトライしてきた小杉湯が、最も大切にする価値観が浮かび上がってくるんじゃないかと思ったんです。そうしたら、小杉湯のみなさんが最後に残されたのが「きれいで、清潔で、きもちのいい」体験を提供するということだったんです。「あぁ、なるほどなぁ」と心が震えました。
企画を中止して白湯だけで営業すると決め、すべてをそぎ落とした結果、90年以上続く小杉湯が持つこの根源的でシンプルな価値を大切にされるということは、とても腑に落ちました。そして、同時にこの価値を原宿から発信するというのは、小杉湯の次のチャレンジとしてとても意味があるのではないかと思ったんです。
そこから「意味を洗い流す」イメージに辿り着き、「素」という一文字が浮かんできました。原宿という情報にあふれた街だからこそ、地下に小杉湯があることによって、みんなが身分や肩書を脱いで素になれる—。そんな価値観を示す言葉として「素のまま、そのまま」というコンセプトが生まれました。

関根:コンセプトに合わせて、フロアの名前も考え直しました。提供価値が流動的なマーケット的なものではなく、時代が移り変わっても揺らがない名前がふさわしい。そのヒントになったのは「小杉湯となり」という、高円寺の小杉湯の隣にある施設です。皆が「となり」と親しみを持って呼んでくれますし、シンプルな位置関係から発想して名付けることに小杉湯らしさを感じました。そこで、「ハラカド」の地下一階であることに着目して、呼びやすさも加えた「チカイチ」という名前になりました。
小国:「素のまま、そのまま」も「チカイチ」も単体では価値を規定しない言葉です。込める意味が多すぎたり、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスをアピールしたりするものだと、少し疲れてしまいますよね。正直、僕はこのプロジェクトに関わるまで人生で銭湯というものに数えるほどしか入ったことがありませんでした(笑)。でもだからこそ、この原宿の真ん中にどんな銭湯を中心としたスペースがあると嬉しいか、自分ごとで考えることができた。どの家にもお風呂があることが常識の現代では、銭湯は機能としては余剰なものかもしれないけれど、そうした余白がある街にこそ人は惹きつけられるのではないかと今は思えますね。

企業も”素”に立ち返る場所
——コンセプトとフロア名が定まったことで、パートナー企業の探し方や企画の立て方にも変化はありましたか?
関根:そうですね。競うような広告戦略ではなく、余計な意味や情報を削ぎ落とし、企業としての“素”に戻ることに価値を置いてもらう。この方針に賛同して出店いただけるパートナーの方々が、「チカイチ」には集まりました。
花王さんには「チカイチ」のオープンに合わせて、創業以来販売を継続している「花王石鹸(現:花王ホワイト)」や、“休息美容”をブランドコンセプトした新ヘアケアブランド「melt(メルト)」の体験企画を実施してもらいました。これから年間を通して、新商品ブランドも含めた花王の取り組みを自由に体験してもらえるコンテンツを用意していきます。


——企業の「原点」を想起するような企画をされてるんですね。
関根:サッポロビールさんは「チカイチ」の一角に黒ラベルのビールスタンドを構えてもらいました。サッポロ黒ラベルは「かっこいい大人」がテーマの商品。どんな大人にも寄り添う考え方に銭湯との親和性を感じ、あえて黒ラベルオンリーのビールスタンドにしていただきました。利益優先で考えれば実現できないコラボレーションなので、この「チカイチ」のコンセプトに寄り添ってくれたサッポロさんに感謝しています。

平松:「アンダーアーマー」さんには、この「チカイチ」が運動の拠点となるようなランニングステーションとストレッチスペースを用意してもらいました。聞くところによると「アンダーアーマー」さんは日本での創業時にはチームスポーツの部活動を訪問して、紙芝居でスポーツウェアの素晴らしさを説明しながら着てもらっていたそうです。「チカイチ」から、原宿・渋谷周辺をランニングしてもらい、小杉湯でさっぱりと汗を流す。そんなフレッシュな体験をアンダーアーマさんのパフォーマンスアパレルを活用しながら実現しています。


平松:「MYTREX」さんの提供で、「チカイチ」では美顔器やヘッドスパ、ハンディガンなど日常習慣に溶け込むような美容健康家電を気軽に試してもらうことができます。銭湯の中にも「MYTREX」の最新シャワーヘッドを男女ともに2台ずつ設置しており、入浴から美容までをシームレスにリラックスしてもらいながら体験することができます。
——銭湯だけではなく、いろんな企業の“素”とも言えるオリジナルブランドが集まることで、あらゆるアプローチで心身がゆるまる体験を提供しているんですね。
場所も文化も、一人の個人から始まっていく

——「ハラカド」がオープンしてから3ヶ月以上が経ちました。これまでを振り返ってどのように感じられますか?
平松:小杉湯 原宿や「チカイチ」のプロジェクトを通じて感じたのは、個人の力の大きさです。チカイチパートナーとして関わってくれる企業やブランド、「ハラカド」を作る東急不動産の方々にも「この人と出会わなければ始まらなかった」と思える出会いがたくさんありました。
小杉湯メンバーでも、関根がいなければ小杉湯 原宿にはチャレンジできなかったし、小国さんと出会わなければ「素のまま、そのまま」というコンセプトも生まれませんでした。僕たちが思い描いた景色を、企画・プロデュース・クリエイティブを通じて具現化してくれたゲンタさんとの出会いも大きかったです。
ゲンタ・クラーク(以下ゲンタ):僕は小杉湯とは高円寺で過去に行った「寝落チルハウス」というイベントのディレクションからのお付き合いですが、小杉湯ではお客さんと顔を合わせた直接的なコミュニケーションが毎日起きていることをいつも実感させられます。企画や打ち合わせの場においても、一人のお客さんの声が尊重される光景は広告業界のキャリアが長い僕にとっては目から鱗で、良い意味で価値観を壊されました。
たとえば何かを禁止する必要があるなら掲示物なりHPなりで明記するのが楽だし効果的ですが、小杉湯ではスタッフが直接声がけするオペレーションを選ぶ。不特定多数のユーザーに向けて情報を発信する広告とはまったくアプローチが異なる、優しさのあるコミュニケーションに魅力を感じています。

関根:オープン前は、そんなすぐに“街の銭湯”が作れるはずはないと覚悟していたのですが、営業初日から銭湯らしい光景が「ハラカド」の地下に広がっていて嬉しかったです。とはいえ、まだ営業スケジュールも試行錯誤していますし、“街の銭湯”らしい風景が全ての時間で実現しているわけではありません。
高円寺の小杉湯では、常連さんが他の人に注意することもあるのですが、そのおかげで環境が保たれていたことに気づきました。最近では原宿の町内会の方たちも来てくれるようになりましたし、理想とする“街の銭湯”を実現するためにも、長い時間をかけて焦らず取り組んでいきたいです。
——地元の方や企業の方など、様々な人が「チカイチ」を利用して、これから先の常連さんになっていきそうですね。

ゲンタ:「チカイチ」では大企業のびっくりするくらい偉い方が普通にくつろいでいたり、「ハラカド」でお店を持つ方が家族とお風呂に入りに来たりと、本当にたくさんの人がやってきます。また、普段出会わない人たちがめぐり合うことで、新しい出会いやプロジェクトも次々に生まれています。
以前、「チカイチ」を利用する一人の花王の方が「ヒヤカド」という熱中症対策の企画を考えたのですが、あっという間のスピードで「ハラカド」全体での取り組みに広がっていきました。クリエイターが多く集まる「ハラカド」の土地柄と立場を気にせず助け合う町内会のような動きもあり、ここから文化が生まれていきそうです。
小国:企業や仕掛ける側が「文化をつくるぞ!」と意気込んでもうまくいかないもので、集まって遊ぶうちに自然とルールが変わって、その結果残るものが文化なのだと思います。人が集まるためのシンプルな体験を掲げる存在として、銭湯はすごく良い立ち位置にある。大勢でお風呂に入るように、「チカイチ」や「ハラカド」全体で多種多様な人が溶け合うことで、この場所らしい文化になるのではないでしょうか。

●施設情報
チカイチ
https://chikaichi.kosugiyu-harajuku.jp/
なんでもない日のはじまりに、せわしなかった日のおわりに、ふらっと寄りたくなる、街のような地下1階。小杉湯となり
https://kosugiyu-tonari.com/
杉並区高円寺の老舗銭湯「小杉湯」の隣にある会員制のシェアスペース。 土日は誰でも使える喫茶店・ドロップインスペースになります。銭湯が街のお風呂であるように、街に開かれたもう1つの家のような場所です。