渋谷の街なかで、名曲を歌い継ぐ
槇原敬之の“遠く遠く”から、松任谷由実の“卒業写真”まで、全37曲。これは、うたのカレンダーが過去にライブで取り上げてきた日本の楽曲たちだ。「渋谷の街なかで、名曲を歌い継ぐ」というコンセプトをもとに始動したこのプロジェクトは、“ラブ・ストーリーは突然に”(小田和正)のイントロで鳴り響くあの印象的なカッティングギターを弾いたことでも知られる佐橋佳幸さんが、コロナ禍でほぼすべての仕事がストップしたことをきっかけに生まれたのだという。

そんなうたのカレンダーは、はじまりの地となった渋谷フクラス17階の「CÉ LA VI TOKYO」を皮切りに、渋谷の様々な場所で定期・不定期にフリーライブを開催。季節感たっぷりの名曲カヴァーはもちろん、息の合った親子のように軽妙洒脱なトークも相まって、回を重ねるごとにファンが増えていった。
佐橋さんのデビュー40周年、そしてsetaさん原作の漫画&映画のお披露目とビッグニュースが目白押しの中、雨の原宿で2人にインタビューを敢行。うたのカレンダー誕生当時のエピソードから、大胆な変化を続ける渋谷の街、さらには名曲を次の世代に継承することについて、率直な想いを語ってもらった。
コロナ禍真っ最中の路上ライブ・デビュー
─お2人は、付き合いがかなり長いとお聞きしました。
佐橋佳幸(以下、佐橋):そうですね。2016年に仲間と「渋谷のレーベル合同会社」を立ち上げたんですが、そもそもはsetaと出会ったのが出発点なんです。彼女をはじめ何組かのシンガーソングライターが出演するライブに行って、そこで初めてちゃんと話したんじゃないかな?
seta:私がまだ大学在学中の頃でしたね。
佐橋:そのステージで見た彼女の歌は、ものすごくインパクトがあった。それで、「ぜひ一緒にやってみよう」ということで音楽制作をスタートして、レーベルを設立して、setaのライブでもギターを弾かせてもらうようになった感じですね。

─2020年には、よしもとミュージックと渋谷のレーベル合同会社が立ち上げた「YM・craft」からsetaさんがメジャー・デビュー。そのプロデュースも佐橋さんが手がけていましたね。
佐橋:僕と縁がある作家さんや、ミュージシャンを招いてのレコーディングとか様々な実験をしてきたんですけど、まあまあ忙しい人間なので(笑)。setaの音楽とゆっくり向き合えるようになったのは、実はコロナ禍がきっかけだったんです。僕自身コンサートの仕事が止まってしまって、もちろんエンタメ業界にとっても大打撃だったわけですけど、やっぱり僕たちには人前で歌うことが必要だよね…ということで、うたのカレンダーの活動がはじまりました。
seta:どうやら、屋外なら空気の循環ができるからライブやっていいみたいだよ! という感じではじまったんですよね。とはいえ場所どうしよう? と思っていた矢先に、東急不動産さんがサポートを名乗り出てくれて。記念すべき初ライブは2021年の4月11日、「CÉ LA VI Tokyo」が入居する渋谷フクラス17階のルーフトップテラスでした。

佐橋:僕はなんと、還暦目前になって初めての路上デビュー(笑)。うたのカレンダーは「渋谷の街なかで、名曲を歌い継ぐ」というコンセプトだから、季節に合わせた歌をピックアップすることが多いですね。春だったら松任谷由実さんの「春よ、来い」、夏だったら井上陽水さんの「少年時代」みたいに。振り返ると、結構レパートリー増えたよなあ。
seta:炎天下の中で意識が朦朧としたり、冬は手がかじかんで凍えそうになったり、いろいろと苦労もありましたね(笑)。ただ、あのときは音楽をリアルな現場で伝える唯一の手段でもあったから。ハマ・オカモトさんがパーソナリティの『THE TRAD』(TOKYO FM)も全面的に応援してくれて、うたのカレンダーのライブを番組内でやらせてもらったり…。
本日は、シンガーの #SETA さん、ギタリストの #佐橋佳幸 さんにお越しいただきました!
— THE TRAD (@THETRAD_TFM) October 13, 2021
今回も3曲生演奏をお届けいただき、
ありがとうございます!
SETAさんの新曲「月下」もチェックしてくださいね
聞き逃したって方はぜひ #radiko 👉👉🎶🎶https://t.co/srgJm6N647#tokyofm #thetrad pic.twitter.com/eYcN8M8uud
美大コンプレックスをひっくり返した、setaのマルチな才能
─メジャー・デビュー直後にコロナ禍突入ということで、setaさん自身もうたのカレンダーの活動には救われたんじゃないでしょうか?
seta:その通りですね。私って、昔から運が悪いんですよ(笑)。
佐橋:だってさ、2020年の春先にNHK『みんなのうた』でsetaが「しかくい涙」を書き下ろししたじゃない? これってアーティストとしても大きな飛躍なのに、すぐさまコロナ禍だもんね。そういう意味では、僕らはコロナの厳しい時代をわりと上手に乗り越えられたのかなって思います。2人だけで成立するユニットだし、レコーディングもライブも密にならずにできましたからね。それに、彼女はやっぱり多彩な人なので、渋谷で開催した『ヨコガオ展』もコロナ禍がなかったら生まれてなかったかもしれない。

seta:いろんな人の横顔をひたすら描いておりました。コロナ禍によって「眼差し」で人が会話するようになってしまい、目から下の情報がなくなったので、その眼差しがもっとも表現できるのはどういう顔だろう? と考えたら、横顔かなと思って。先行きの見えない世界だけど、ちょっと希望を感じられるものにしたかったから、マスクを着けた横顔と、マスクを外した横顔を並べるというコンセプトを考えて作品を描いていきました。
佐橋:あれは本当に素晴らしい企画だったし、ニュース番組でも取り上げられたもんね。小田和正さん、ハマ・オカモトくん、きゃりーぱみゅぱみゅさんとか有名な人もいるけれど、その中に駅員さんとか一般の方も混じっているのが面白いです。
seta:最初は私が指名というか、会ってみたい人の横顔を描かせてもらうところからスタートしました。その後、渋谷で実際に働いているビジネスマンとか、工事現場で働いてらっしゃる方とか、サッカー選手とか……何かしら渋谷にまつわる方にご登場いただきました。約40名くらい描いたのかな? 私は美大に行けなかったコンプレックスがあるので、SNSのイラストを見てくださった東急不動産の担当者さんから、「壁一面に描いてみませんか?」と突然オファーをいただいてとても驚きました(笑)。
─さらに今年は、setaさんの原作をシナリオ化した『マンガ家、堀マモル』が2月より漫画連載開始。8月には山下幸輝さんの主演で長編映画公開も予定されています。

佐橋:setaが主題歌を、槇原敬之さんがエンディングテーマを担当することは決まっているので、あとは僕がサウンドトラックを作らねばという状況ですね。それにしても、作詞作曲ができて歌えるシンガーソングライターであり、絵も描けるのに、まさかそういった方面でも才能が開花するとはびっくりですよね。noteで小説を書いていることは知ってたんだけど……setaはずっと何かを作り続ける人なんだろうな。舞台挨拶のときは、ギター持って駆け付けますよ!
逆境だからこそ実感した歌のパワー
─これまで渋谷のいろんなところで演奏されてきましたが、2021年12月23日の渋谷駅東口地下広場では、青山学院大学軽音楽サークルとの共演も実現しました。
佐橋:そういえば、青学の学園祭にも出たよね?
seta:懐かしい! 佐橋さんとは距離感が近いのでお父さんみたいな感じなんですが、ああいう場所で学生たちが佐橋さんと会って緊張しているのを見ると、「あ、パパやっぱりすごい人なんだ!」って再確認します(笑)。彼らにとっても、佐橋さんみたいなプロのギタリストと一緒にやれる機会ってめったにないから、いい刺激になったと思います。
佐橋:setaのお父さんと僕、同い年なんですよ(笑)。僕は高卒だから、単純にキャンパスに行けて面白かったのと、「桑田佳祐さんたちはここに通ってたのか!」っていう気づきがありましたね。青学は素晴らしいミュージシャンをたくさん輩出していますから。
seta:うたのカレンダーの1周年記念ライブでもご一緒した、シンガーソングライターの仲田圭佑(Soar)さんも青学出身ですね。
佐橋:よくよく考えると、今話してることって全部が渋谷の街で起こってるんだなあ。
seta:そうですね。もう自然と渋谷に住んでいる人かのように振る舞ってる(笑)。
佐橋:僕は京王井の頭線の駒場東大前駅あたりの出身なので、子どもの頃から盛り場といえば渋谷でした。渋谷の60年間の変遷をずっと見届けてきたといっても過言じゃないですよね。それこそ1965年の東急プラザ渋谷(現渋谷フクラス、開業当時の名称は渋谷東急ビル)が開業したときに両親と行ったのを憶えてるもん。だからさ、形は違えどその場所で演奏できたのは感慨深かったですよ。

─現在の渋谷は「100年に一度の再開発」とも呼ばれていますから、来るたびに景色が違いますよね。
佐橋:その場所でどんな曲をやったかってことよりも、演奏中に見た風景のほうが鮮明に憶えています。ただ、コロナ禍はライブに足を運んでくださる方たちにとっても難しい時期でしたし、「ライブハウスやフェスは悪者だ」っていうイメージさえあったのも事実だからね。
seta:ああいうときって、やっぱり歌の持つパワーはすごいなって思います。うたのカレンダーは、みなさんが一度は聞いたことがある名曲を中心にお届けしているので。友だちとも会えないし、飲み会にも行けないし…という孤独なシチュエーションの中で、歌そのものが持つ強さというのを実感しました。
佐橋:渋谷の街なかでsetaが歌い出すと、「あれっ?」って立ち止まってくれる人が多くてね。あ、ちゃんと音楽に反応してくれるんだって嬉しくなった。別によそ見しながらギター弾いてたわけじゃないですよ(笑)。現地に来られない方のためにライブ配信もやってはいたけど、やっぱりお客さんがいて、舞台上にアーティストがいて、同じ空間をシェアするのって何ものにも代え難い体験ですから。
渋谷は音楽を教えてくれた街であり、育ててくれた街
─うたのカレンダーの今後について聞かせていただけますか。
seta:このプロジェクトって、「名曲を歌い継ぐ」というコンセプトにもあるように、私たち2人だけのものじゃないんですよね。今後は「shibuya うたのカレンダー」season2として、学生さんはもちろん、渋谷と縁のある企業・団体もサポートしてくれる予定です。私たち2人も1年以上うたのカレンダーのライブをやってないですから、そろそろまた一緒に歌いたいですね!
─街のみんなで育てていくプロジェクトでもあると。
seta:私たちが古き良き名曲を歌い継いでいるように、どんどん若い世代のアーティストたちにも繋いでいきたいし、実際そんなプロジェクトとして育ちつつある気がします。それに、全部私たちだけでやっていたら、100歳くらいまで長生きしないといけなくなっちゃう(笑)。

佐橋:なるほど、僕らがはじめたことがちゃんと次世代にバトンが渡っているってわけだ。うたのカレンダーとしてはいわゆるカヴァー・アルバムみたいな音源を発表するつもりはなくて、あくまでライブでの一期一会を大事にしています。僕個人も、「へえ〜、setaが歌うとこうなるんだ」っていう発見を楽しんでいる部分もあるからね。さだまさしさんの“つゆのあとさき”を聴いたときなんて、「こんなにいい曲だったのか!」ってsetaのおかげで気付かされたりして…(笑)。

seta:さださんの楽曲が素晴らしいのは大前提ですけどね(笑)。他にもバンドものではRADWIMPSの“セプテンバーさん”もやりましたし、あとはフジファブリック、くるり、小田和正さんとか、男性アーティストの曲を歌うのが特に楽しいんです。
─以前setaさんは、渋谷のことを「音楽ライブやイラスト展などコロナ禍においても発信のチャンスをくれた街」と語ってくれましたし、人生2回目のライブも渋谷だったそうですね。変化を続けるこれからの渋谷に、どんな期待感を抱いていますか?
seta:うーーん、どんどん変わっていっちゃうから、それはそれで寂しくもあるんですけどね。いつも思うのは、渋谷って大人の方もいるし、すごく若い10代の子とか、20代、30代……と幅広い世代の人たちが遊びに来られる間口の広い街なので。そんな「包容力」は変わらずに、もっと今の若者たちが新しい文化とかブームを発信していけるような場所になったら私もすっごく楽しいし、その一部になれたらいいなって感じます。
─佐橋さんはいかがでしょう。
佐橋:僕はやっぱり、音楽の情報源といえば渋谷だったんですよね。なぜかというと、楽器屋さんがあって、レコード屋さんがあって、ライブハウスもある。で、そういうところに通い詰めて店員さんと仲良くなって、いろんなことを教えてもらう。「B.Y.G」(1969年オープン)みたいなロック喫茶も未だに残ってますからね。そんな僕に音楽を教えてくれた街であると同時に、育ててくれた街でもある。
今となっては死語ですけど、渋谷は「サブカルチャー」がちゃんと軸にある街でもあった。いや、むしろ古き良き伝統的なもとの、新しくて刺激的なものが同居してるっていうのかな? そのゴチャ混ぜ感が好きだったし、居心地が良かったんです。それがこの先もずっと続いてくれるといいなと思う反面、僕が生きてる間にすべての工事が終わって完成形が見たいなあって…。
seta:路地を入るとレトロで素敵なお店が残ってるし、高層ビルだけになっても寂しいですもんね。
佐橋:そうだよ、「ムルギー」のカレー食べられなくなったら困るじゃん(笑)。
